オリンピックが始まります。賛否両論ある中で、真実は一つ。アスリートはこの舞台を目指しただただ純真に突き進んできたということ。
つい最近まで、私はこのような業界にいて世界一を目指すということが身近で行われている中にいました。もっと昔は自分もその端くれとしての日常を送っていました。
今は、このような山里に暮らし、命を感じることの方が多くなりました。
小さな命。雑草一つ命であり、蜘蛛の子ひとつ命。蟻んこも一つの命。
きゅうりや茄子を育てていますが、これも命。今年から、越生梅林の梅農家と黒山の柚子畑を管理していますが、これも命であり、またその木々の下に生える雑草も命なのですよね。
先日、とある牧場の方から最近知り合ったばかりの若い名馬の訃報を受けました。あの大きな馬が亡くなるというショックは私に大きな打撃を齎しました。暫くその大きなショックに困惑し続けました。
亡くなる直前まで自分の足で立っていたそうなので余計にショックです。
しかし、蚊も命。つい腕に止まっていたらパチンと叩いて殺してしまうのに…。
同じ命です。改めて命を見直す機会を頂いた気がします。
そうして、オリンピックですが、私にとってもかつては目標でしたし、トレーナーとしてもオリンピックに携わるのは目標の一つでした。選手のリザルトに貢献することが生き甲斐で自分自身のバリューだとも感じていました。
でも、こうしてコロナ禍に身を置くことになり、山村の中に暮らしていると変わってきます。冷静に世の中を垣間見る時間もでき、変わっていく人たちと変わらない人たちが大きく格差を開いているように見えてとても面白いです。
その昔、日本はオリンピックにより復興を遂げました。東京オリンピックというチャンスに向け選手たちだけでなく一般庶民までが、一丸となり経済の発展に努めこのチャンスを逃すものかとの如く進化を遂げた歴史がありました。
しかしたった57年という月日で日本人は、ものすごい進化を遂げました。テレビは、箱型カラーから、超薄型の地上波へ。今や携帯でもテレビが見れます。それどころか、その気にさえなれば、誰でもYouTuberになれて芸能人のように稼げたり、店や会社作れます。芸術品や芸術、スポーツでさえプロとアマ、また学生の境がなくなりつつある。正しくは、崩壊状態にあると私は感じています。
そのような中での東京オリンピック。唯一の真実は、一人一人のアスリートが、これまでここに至るまでに過ごしてきた費やしてきたエネルギーとそのパフォーマンス。
ただ、それだけは偽りのない魂のぶつかり合いでありそれ以上でもそれ以下でもなく、それぞれの選手が、やり切れる力を出し切れる環境で開催されることを心より望みます。
2021/07/20
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